2024.12.12 3年間を振り返って 山口泰史(3年)

僕たちの高校サッカーは東海大相模に勝ちきれず終わってしまいました。
僕の夢は選手権で全国大会に出場することでした。第98回全国高校サッカー選手権大会の決勝、青森山田vs静岡学園の試合をみてこんなにかっこよくて、全員が楽しそうにサッカーしている姿を見て自分も絶対にこの舞台に立ってプレーしたいという思いが芽生えました。そして、この夢を叶えるために横浜創英高校を選びました。初めてみんなと顔を合わせた時、周りにはマリノス、ベルマーレ、ゼルビア、横浜FCと知っているチームしかいなかったのでとても怖かったのを覚えています。ポゼッションをしていて、ミスをしたりすると舌打ちが止まらなかったり、哲平が1番最初の練習からとんでもないくらい指示をしていてびっくりしたのもとても覚えています。
そして、気づけばもう引退です。この3年間はとても早かったけど、悔しく、苦しくもありました。僕は、3年の5月に怪我をしてしまい5月から今までみんなとプレーすることができませんでした。ちょうど5月は、これから関東大会やインターハイが始まるので一段と練習にも気合が入る時期での怪我でした。最初はすぐ治ると思ってたので、インターハイまでには間に合うと思っていました。ですが、骨折してしまった部分は治りにくく結構な時間がかかってしまい間に合うことはなかったです。インターハイは、自分は応援席だったので試合が終わりみんなのところにいき、みんなに「たいし勝てなくてごめん」と言われて自分はほんとに選手権で相模を倒して全国に出たいという思いが強くなりました。そしてついに、9月15日に選手権神奈川県予選が始まりました。自分は、大学の練習会などに参加したのもあり、完璧な状態ではなかったため出ることは出来なかったものの、みんなが勝ち続けてくれて決勝まで行くことになりました、自分は最後にみんなとサッカーがしたかったので監督や病院の先生と相談をして決勝戦の一週間半前から 復帰しました。最初は思うように身体が動かなかったのですが、日に日に練習をしていくうちにいつも通りに動けるようになり、ベンチに入ることになりました。ついに試合が始まり、みんながプレーしているのを見ていて早く自分も同じピッチに立ってプレーしたくて身体がムズムズしていました。前半から相手に押される展開が続き横浜創英の本来の力が出せず、相手に2点を許し、自分たちも惜しい場面はありましたがゴールは奪えず0-2のまま最後の笛がなりました。自分は最後までベンチにいました。最初笛がなった時は何も考えることが出来ず頭が真っ白でした。そして、みんながピッチから自分のいるベンチに戻ってくる姿を見てほんとに負けたんだなと思いました。その瞬間、今までのサッカー部での思い出だったり、家族の顔や応援してくれている人の顔が浮かび涙が止まりませんでした。そして、試合に出れなかったのは死ぬほど悔しかったけど、このメンバーに出会えて、毎日当たり前のようにサッカーをできていることがとても幸せだったなとその時思いました。
そして最後に、自分はリハにいる期間が長かったです。何度も何度も悩み、なんで俺はこの時期に怪我をしたんだと何度も自分を責めてきました。そんな中で、1番心の中の支えになったのは、まさの存在でした。まさは、どんな時でも弱音を吐かないし、自分の怪我が悪化した時も、1番気にかけてくれたし、早く一緒に復帰しようなと何度も言い合ってきました。そして、まさが、最後のK1の試合に出た時は、誰よりもうれしかった自信があります。まさには1番感謝を伝えたいです。ありがとう。そして、このメンバーで成長してきたこの3年間は、一生忘れることないし、一生の宝物です。そして、一生みんなと離れたくないです。
山口泰史