🏔️𝗜𝗡𝗦𝗜𝗗𝗘 𝗦𝗛𝗜𝗡𝗝𝗢🏔️ Vol.1 朝日大輔/ DAISUKE ASAHI

「岐阜との記憶」 は、終わっていない

 
静かに、しかし確かに火が灯る。 天皇杯1回戦、 FC岐阜 vs 富山新庄クラブ。 カテゴリーの壁を越えた “再会” が、この試合に確かな意味を与えている。 その中心にいるのが、富山新庄クラブの指揮官・朝日大輔。 かつてカターレ富山で、「ミスターカターレ」の名で“青の背番号7”を背負い、FC岐阜との一戦で幾度も存在感を示してきた男だ。
 

あの頃の 「7 番」が刻んだ爪痕

──2010年7月4日、長良川。 J2第19節、1-0で勝利を飾ったカターレ富山。
その決勝ゴールをアシストしたのが朝日だった。
──2011年10月2日、岐阜メモリアルセンター。 この日も朝日は先発出場。岐阜の中盤をかき乱し、後半の逆転劇の起点となった。 彼がピッチに立った岐阜戦は、通算 7 試合出場 スタメン 5 回 ・2 アシスト・勝率71 % 5勝2敗。 ときに決定機を演出し、ときにボールを奪い返し、そして何より── 「嫌な時間帯に顔を出す 7 番」 として、岐阜サポーターの脳裏に深く刻まれた。

あの歓声とブーイングの狭間で

2010 ~ 2013年、朝日がいた頃のカターレ富山は、岐阜との対戦で強さを発揮した。 特に 、2011 シーズンは 2戦2勝。
朝日がプレーに絡んだゴールで、流れを呼び込んだシーンは数知れず。
岐阜の守備陣にとって、彼はまさに “読みづらく、止めづらい” 存在だった。
その記憶は、今も一部の岐阜サポーターの間で語られている。
 
「あいつは、何かやる」──。 そして、その “嫌な予感” は今、再び蘇ろうとしている。
 
 

今度は、指揮官として。

かつての相手に、今度は “挑戦者” として向き合う。 その立場は違えど、心の奥には、当時の温度が今も確かに残っている。
朝日を筆頭に、富山新庄クラブには元カターレ富山の選手・スタッフが多数在籍。 この “青を知る者たち” が、岐阜の地に再び集結するという構図も、非常に興味深い。
 
また、対戦するFC岐阜の監督 大島氏は、朝日とは、2016シーズン カターレ富山で共に
コーチとして、2024シーズン 鹿児島ユナイテッドFCで監督・コーチとして、共闘している。 この再会での一戦は、さらに何か因縁めいたものを感じさせられる。
 
天皇杯という一発勝負の舞台。 J クラブとの対戦という現実を前に、立ち止まる時間はない。 だが──この再会には、理由がある。 挑戦する価値がある。
 

「ここで、もう一度勝つ」

この言葉に宿るのは、過去への感謝ではない。 勝者として、次へと進むという “今” の覚悟だ。
 
『岐阜』
 
あの日と同じ風が吹く地で、 朝日大輔は、再びその力を示そうとしている。